日本を知る旅 in広島
7月になりました。
2016年も半分終わったことになりますね。
1年が経つのは早い!
だから、任国での日々もあっという間に過ぎていくんだろうな…
【呉:大和ミュージアム】
呉はご存知の方も多いかとは思いますが、戦時中は海軍の軍事工廠の町でした。
多くの戦艦が作られた町でもあり、あの戦艦大和もここで作られました。
戦争はよくありません。
しかし、この戦時中の戦艦や戦闘機を作る技術は、物凄いものがあり、戦後日本の復興を支えた工業技術の礎ともなっているのです。
それは、作り上げる技術だけではなく、効率的な生産システムや管理システムといったソフトの面でも受け継がれています。(例えば、自動車生産ライン管理等)
もちろん、戦争を通して先人の思いをしっかり受け取ることも大事だと思います。
歴史は、先人が遺してくれた財産です。その財産を生かしていくことが、今の自分たちの役割ですね。
【呉:海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)】
※てつのくじらとは、このこと↑デカイ!
ここは、無料で入館できます。
主に海上自衛隊の歴史や、活動内容を知ることが出来ます。
多かったのは「機雷掃海任務」に関してです。
機雷とは、海の中の地雷のような物で、船が近づくと爆発する兵器です。
戦後、日本の海の周りには機雷が山ほどありました。そのため、海上自衛隊がそれらを掃討したそうです。多くの犠牲があったそうですが、今ではほとんどなくなり、その技術は海外へも派遣され成果をあげているそうです。
いわゆるPKOですね。
そして、てつのくじら(潜水艦)の内部を見学です。初めて見ましたが、いやぁ格好いいです。
【呉:術科学校】
この写真を見てピンと来た人は、ぜひ一緒に酒を飲みたいですね。
NHK大河ドラマにもなった「坂の上の雲」でも使われた、旧海軍兵学校(現 海上自衛隊第1術科学校)です。
赤煉瓦の建物は、今は幹部候補生の訓練所として使われているそうです。そして、なんと建てられた当時から、同じように使っているとか…すごい!
坂の上の雲で描かれていた青年達もここで、学んだのだと思うと考え深いです。(ちなみに、秋山真之は17期生として、ここで学んだそうです!)
もう一つの写真は講堂で、同じように建てられた当時のままです。
幹部候補生の修了式間近ということで、椅子が並べられているそうです。
そして、修了式で壇上に上がって修了証をもらえるのはただ一人。首席の人。
その人は、その後もどんどんと出世していくそうです。
その他の人は、名前順で呼ばれるけれども、昔は成績順で呼ばれたとか…
そして、卒業名簿も成績順。いかに、ここをトップの成績で卒業するかが、その後を決めていくのですね。
ここにも、昔ながらの日本を感じました。
そして、写真は撮れなかったけれど史料館も充実していました。
明治時代からはじまり、終戦まで…
多くの若者が志をもって、鍛錬してきたのです。特にこの海軍兵学校に入るような若者は、世界的な視野をもって、一心不乱に勉学に励み自己を磨いていたんだろうな…(陸軍とは違った海軍気質のような感じ?)
「志」
それを、感じさせてくれました。
【原爆ドーム】
原爆ドームです。
第一印象は、よく遺してくれたな…
そして、外国の人多い‼
観光に来ていたおばさま方に写真をお願いされたけれど、その時に「日本人を探すのが大変な位ね〜」と言っていました。
小学生位の子もいて、海外の学校の休みって?と思ったりもしました。
外国の人が多いので、こういった各国の言葉で書かれた解説書が置いてありました。(残念ながらモンゴル語は無かった…)
これを、作ったおっちゃんが言ってました。「今の時代、どうやって伝えるかが大事じゃないかね」SNS等が普通になり、情報の拡散は簡単になりました。でも、それを相手にどうすれば伝わりやすくなるかが大事なんだろうな。
そして、この原爆ドームを見て訓練中に行った浪江町のことを思い出しました。
遺構。
原爆ドームを見て感じることは、物凄く多くありました。それは、決して言葉ではなく感覚的なものでした。
それに似たものが、浪江町の風景。
奇しくも、両方とも原子力という人の作り出したものによる遺構ですが、だからこそ人類の歴史的な価値があるように思えてならないのです。。
【広島のいいところいっぱい】
【感想】
訓練中に「平和って何ですか?」と聞かれました。凄く難しいよね。
でも、色々考えて広島に来ればいいんじゃないかな、と思いました。
外国の人も多かったです。国を問わず、多くの人と原爆ドームの前で話し合えばいいんじゃないかな。(英語力が皆無な自分には無理でしたが…)
自分に色々教えてくれ広島に感謝!