モンゴル紀行:ハルハゴル
モンゴルでの夏休みは、国内を色々と回ることができています。
今回は、任地でもあるドルノド県にある「ハルハゴル」へ行きます。
モンゴルの東の端でもあり、日本とモンゴル・ロシアが戦争をした「ノモハン事件」があった場所でもあります。
そして、何と今回は同任地の理学療法士隊員の同僚(モンゴル人)たちと行けることになりました。
モンゴル人の夏休み旅行を体験します。
「草原の海」
チョイバルサンから出発して、20分ほど走るともうそこは舗装がされていない草原の道になっていました。
椎名誠さんがモンゴルの草原のことを「草原の海」と表現したそうですが、まさにその言葉がぴったりな雰囲気です。
見渡す限り同じような大地をひたすら車で走ります。
なので、ガソリンや水は死活問題!!
(車のガソリンが無くなりそうになり、ハラハラしました 笑)
遠くの方に煙が見えました。
近づいて見ると…
草原火事です。
乾燥しているので、あっという間に燃えてしまうのでしょう。
しかも、消火している様子はなく、燃え尽きるまで待つのだろうか…
ちなみに、この焼け野原。東京の江戸川区くらいの大きさがあるんじゃないか?
と思うほど広範囲に渡って焼けていました。
チョイバルサンから車で走ること4時間ほど…
やっと人工物的なものがありました。
ここは、何と石油を掘り出している地区らしく「21番地区」と呼んでいました。
しかし、石油を掘り出している企業は中国の企業らしく、掘った油は全部中国に運んでしまっているそうです。
その事実をモンゴルの行政は知っているのかどうか…。闇がありそうです。。
ゲルキャンプ地には夜に到着。
本来の目的地だったかどうかは定かではありませんが、とりあえず寝る場所があって一安心です。
ハルハゴルの観光
ハルハゴルとはモンゴル語で「ハルハの川」という意味です。
なので、川があります。
その近くには小さな村があり、周りには色々と観光スポットっぽい場所が点在しています。
斜面に作られた石仏
戦争時に使われたであろう、戦車のモニュメント
戦没者の墓にあった慰霊碑的なもの
モンゴル軍とロシア軍が力を合わせて日本軍を追い払ったことを記念する戦勝記念塔
いかにもな博物館
その外に雨ざらしで置かれている、戦争で使ったであろう兵器
多分戦争当時に使われた車?
1日かけて点在する観光スポットを回りました。
ノモハン事件は、日本の歴史の教科書ではほんの数行の説明で終わってしまう内容ですが、こうして現地に来て見ると(一体何が起きたんだろう…)と深く知りたくなりました。
お風呂
ゲルキャンプには3泊しました。
モンゴル人から「ゲルキャンプにシャワーやお風呂があるからね」と言われていましたが、施設の中には見当たらない…
一体どこなんだろう?
実はゲルキャンプ地から歩いて5分ほどのところに湖があり、そこのことを言っていたのでした。
海かと見間違えるくらいの湖「ボイルノール」
暑い日は、この湖に入って汗を流しました。
ただ、曇っていたりすると若干寒い気も…
最後に
本当に草原しかなく、地平線を目指してひたすら車で走り続けた経験はモンゴルならではの旅でした。
また、一緒に行ったモンゴル人たちはとても親切にしてくれて、本当に感謝×2です。
ただ、あの凸凹した道を6、7時間車に乗ることを考えると大変だったなぁ(笑
モンゴル紀行:ハラホリン おまけ
前回の続き
なんと、モンゴルにも温泉がありました!!
ツェンヘル:モンゴルの温泉街
お世話になった遊牧民を後にして、車で走ることさらに6時間ほど…
(モンゴルはとにかく移動時間がかかります)
目的のゲルキャンプに着きました。
昨日までの遊牧民のゲルに比べたら天国のような場所です。
なぜなら…
温泉があるからです!!
ちゃんとHOT SPA HOUSEと書いてありますね。
そして…
若干、硫黄の匂いがする無色透明な温泉です。
温度は少し熱め。
外国の風呂なので、水着着用(下着で入りましたが)です。
でも、こうした温泉があるなんて!
浴槽はもちろんシャワーすらなかった日を何日も過ごした後の温泉は、まさに天国でした。
一緒に入っていた外国人も「Heaven...」とつぶやいていましたよ。(わかる!!)
源泉も近くにありましたよ。
露天風呂から見える景色も最高です。
カナダとドイツから来たという外人さんは「こうした自然を味わいに来たんだよ」と言っていました。
観光スポットをせわしなく回る日本人の旅行とは、根本的に何か違う味わい方をしている気がしました。
そして、風呂上がりに一杯。
ハラホリンの街へ戻る
街へ戻る途中、この6日間ずっと運転をしてくれていたモンゴル人の実家(ゲル)にお邪魔してお昼をご馳走になりました。
馬頭琴が上手な甥っ子さんがいたので演奏してもらいました。
上手!!
エルデニーゾーというお寺。
モンゴル語のガイドをつけてもらいましたが、めっちゃ聞き取りにくい男の人で撃沈しました。。
でもチベット仏教の仏像や宗教画が見られて勉強になりました。
街中にある博物館。
なんと、JICAの協力のもと作られた博物館らしいです。
日本語のガイドもありますし、展示の仕方が上手い。
やっぱり、博物館のデザインにも技術があるんだなぁと感心しました。
最後に
ハラホリンの歴史はまさに、モンゴル帝国の歴史でもありました。
最盛期には世界中の人々が暮らし、イスラム教徒も暮らしていたそう。
かなりレベルの高い国際都市だったそうです。
そうした歴史を知ることで、現代にも生かせる部分が絶対あるはずだと思います。
モンゴル紀行:ハラホリン vol.2
前回の続き…
オルホン滝
遊牧民のゲルに宿泊して朝。
草原の朝は清々しいです。
朝食も遊牧民のお宅でいただきました。
ミルクやそれを加工したものと、小麦を使って作った簡単なもので食事を済ませます。
遊牧民のゲルから車で30分くらいで観光スポット「オルホン滝 Орхоны хүрхрээ」に到着しました。
モンゴルでは最大の滝だそうです。
が!降水量が少なく、水の量もかなり少なめです。
ちなみに本当ならば…
これくらいになるみたい。
(参考画像)
乗馬トレッキング
さて、ここまでは「地球の歩き○」にも書いてある観光地ですが、ハラホリンといったらナイマンノール(8つの湖という意味)の乗馬トレッキングです。
旅行の予約をするときにもモンゴル人から「かなり距離があるけど大丈夫?」と言われましたが、せっかくなので頑張って行きました。
まず、公園の入り口(滝から乗馬で2,3時間ほど)
この時点でかなり素晴らしい雄大な自然を満喫できます。
が!!
ここからさらに山へ向かって進んで行きます。
道無き道も馬で進んで行きます。
こんな手付かずの自然の中を乗馬で行くなんて、なんて贅沢な!!
しかし、もう長時間の乗馬と険しい山道で体は疲労困憊です。。
でも、まだ1つ目の湖に着かない。
乗馬開始から6,7時間ほどでやっと1つ目の湖に到着です。
やっと着いたか。。
というのが正直な感想(笑
でも、この自然しかない空間。本当に素晴らしいです。
この後、さらに3,4時間かけて奥に行き湖を合計3つ見てgive up。。
遊牧民が「あともうちょっとでもう1つの湖に到着するのに〜」と言っていましたが、体が持ちません…
これが最後見た湖。
湖自体はそれほどでも…(笑
その日はどこに泊まるのかを聞くと…
遊牧民「近くの遊牧民の家に泊まらせてもらおう」
自分「え?お願いしてあるの?」
遊牧民「いや、行って聞いてみる」
自分「ダメだったら?」
遊牧民「他を探そう 笑」
そして、近くに住んでいる遊牧民のゲルに行ってみると…
あっさりOK!
ん〜これが遊牧民文化なのか。
日本でも最近、民泊云々言われていますが、モンゴルにはもっとラフな民泊が存在していました。
その日は泥のように眠り。
次の日の朝、朝食を頂いて元のゲルに帰ります。
モンゴルのゲルの軽食は大体こんなもの。
真ん中にあるクレープみたいなものは、ミルクの湯葉のような食べ物「ウルム」と言っていました。味は、生クリームのような濃厚な味です。
最後の草原では馬がいきなり全速力で走り始めて焦りました。
手綱を引いても全然止まらない!!
まるで、ブレーキのない自転車で坂を下るような感覚でした。
でも、手綱を左にグイッと引っ張り左に旋回してなんとか止まりました。。
落馬しなくてよかった(ホッ
2日間合計で18時間ほどの乗馬トレッキング。
怪我なく終われてよかったです。
自然の民
ゲルに帰るとお母さんがホーショールを作ってくれました。
揚げたては美味しい!
そして1日目と違って、距離も縮まったような気がしました。
「乗馬は大変だったでしょ?」
「どこまで行ったの?」
「頑張ったわね!!」
子供たちとも距離が縮まり、一緒に遊んだり、家畜の世話をしたりしました。
子供と遊んでいると、家畜の世話をしているお母さんから
「仕事しなさい!!」とお叱りの言葉が…
子供は渋々ながら薪を運んだり、子牛の世話をしていました。
2歳の男の子もお姉さんと一緒に牛乳の入った缶を運んでいました。
そして、粗方仕事が終わると空の様子が急に変わり、嵐になりました。
嵐が来ることを知っていて大人たちは急いで仕事をしていたのだろうか。
その後も色々な話を聞くことができました。
・季節ごとに住居を移動すること。
・冬は気温がマイナスになるけれど、寝るときはデールを着込んで寝ること。
・親戚とは近くに住んでいてお互い助け合って暮らしていること。
最後に
ゲルという空間はストーブを中心に家族が円になってスーティツァイを飲み、語らう。そんな空間でした。
日本では道徳で、生命尊重、家族愛、自主自立、勤勉、自然愛…
そんな徳目を学びますが、モンゴルの遊牧民の生活ではそれが日常に溢れていました。
何百年と変わらない生活。人間本来の生き方は、こんな生活なのかもと考えさせられた数日間でした。
モンゴル紀行:ハラホリン vol.1
今回は、モンゴルの観光地しても有名なハラホリンという街です。
ウランバートルからバスで6時間かけて行きました。
ハラホリン到着
夕暮れ時に着いて、その日はハラホリンの町にあるゲルキャンプに泊まりました。
次の日の朝
自分たちの荷物や食料、水などを車に積んで5,6時間かけて目的地まで移動します。
Төвхөн Хийд(トゥフン ヒード)
まず初めに、トゥフン ヒードというお寺に行きます。
山道を馬に乗って、1時間くらいかけて行きます。
とても自然が豊かな場所で、のんびり馬上から景色を楽しみながら行きました。
しばらく行くと、岩山が見えて来ました。
この上にお寺があります。
かなり険しい道&高いのでかなり大変な場所でしたが、意外と人が多かったです。
仏教徒にとって神聖な場所なのがよくわかります。
そして素晴らしい景色。
高い場所なので、周りの景色が一望できます。
頂上はモンゴルの山によくあるルールで女人禁制です。
でも、頂上まで行かなくても十分綺麗な景色を楽しめます。
大草原を馬に乗って遊牧民の家へ…
僧院を見終わり、今日宿泊する遊牧民の家に向かいます。
「車で行くか?」と言われましたが、せっかくなので遊牧民と一緒に馬で行くことに。
「ここからどれくらい?」と聞くと「3時間くらい」
馬に乗って小走りで草原を駆けて行きます。
家など全く見えないので「家はどこらへんにあるの?」と聞くと
「あの山を越えて、川を越えて、また山を越えて、道なりに行くんだ」とかなりアバウトな返答。
でも、そうした広大な自然の中で目印になるものは、やはり山や川なんだろうと実感。
行けども行けども、草原。。
3時間経っても、全然着かず、そろそろ足が疲れて来たので車を呼んで途中リタイア…無念。。
次の日も、1日乗馬しなければならないので、今日は練習ということで(笑
お世話になる遊牧民の家です。
周りには、飼っている家畜がたくさん。
ゲルに入ると、まずはスーテイツァイ(モンゴルミルクティー)をいただきます。
実は、リアルな遊牧民の家に泊まるのは今回が初めて。
(どうなることか…)
夕食は、ツォイワンを作ってくれました。
ゲルの真ん中にストーブがあります。
そのストーブが料理をする場所でもあり、暖をとる場所でもあり、家族が集う場所でもありまし。
燃料は薪を使ってましたが、牛糞(アルガイ)もありました。
牛糞(アルガイ)は、牛の糞が乾いたもので良く燃えます。
木が無い場所で暮らしているモンゴル人は、この牛糞を使います。
ヨーグルトもあったので、いただきました。
バケツヨーグルトです。
どうやって作るの?と聞くと「ここにミルクを入れるとヨーグルトになるんだ」と、とてもシンプルな製法です。酸っぱかったです。
最後に
遊牧民が暮らしているゲルの他にもう1つゲルがあったので、そこで寝ることになりました。遊牧民の子供も夏休み中で、家畜の世話をしていました。
この2日間で少しは仲良くなれるだろうか?!
モンゴル紀行:セレンゲ県スフバートル vol.2
前回の続き。
セレンゲ県スフバートル編が続きます。
スフバートルの自然
「スフバートルにも砂丘があるんだぜ! 」とタクシーのドライバーに言われ、スフバートル砂丘に行きます。
草原の中にいくつかこのような砂丘がありました。
砂もサラッサラで、何とも不思議です。なぜここだけ?
砂丘の近くには川が流れていて、遊牧民の家族がピクニック中でした。
何をさばいているのかを聞いたらヤギでした。
「これからホルホグ(モンゴル料理:肉とジャガイモと人参を一緒に蒸し焼きにする料理)にして食うんだ!」
モンゴル人はホルホグ大好きです。
↓これがホルホグ
こんな湧き水が出てくるところも。
直接飲めるみたいですが、遠慮しておきました。
ちなみに、ドライバーのモンゴル人。めっちゃ良い人だった。
Их Монгол(直訳:めっちゃモンゴル)というキャンプ地?別荘地?避暑地?みたいな場所へ。
やっぱり、自然の感じが全然違う。
樹がある!樹がある!
とても静かないい場所でした。
季節によって、色んな自然が楽しめるそうです。
(でも、冬はやだなぁ)
スフバートルとロシア
ロシアに近い街なので、こうしたロシア店があります。
が!全部が全部、ロシア製ではないので、普段目にしない商品を見て「ロシア製…なのかな?」と探すしかないですが(笑
スフバートルの町から車ですっ飛ばして30分の近郊にアルタンボラグという町があります。これは、まさに国境の町。
遠くに見える教会から先がロシアらしいです。
日本は島国なので、こうした風景は見られないので新鮮ですね。
でも、モンゴル人のドライバー曰く「向こう側はこっちと何も変わらない」とのこと。
まぁ考えてみれば、これだけ近ければ気候も土地も同じなのだから変わらない方が自然なのかもしれません。
スフバートルでの乗馬
スフバートルでも乗馬が出来るところがあるということで、行きました。
この船を使って川の向こう岸に渡ります。泥舟ではないので、ひとまず大丈夫!
着いたのは、普通の遊牧民の家。
白い網をかけて何を作っているのかというと…
アーロールでした!
もう、アーロールも普通に食べられるようになりました。
慣れって恐ろしい…
アーロールを作っているところを見たのは、初めてだったので「なるほど〜」と観察しているとタクシードライバーが「Идэ!:食べてみぃ」的な感じでホイっとくれました。他人の家のアーロール食いたい放題です。
家に来てくれた人はみんなお客さん的なモンゴル人精神ですね。
遊牧民が「ちょっと隣の家におとなしい馬借りてくる!」と行ってしまったので、待っている間、庭先(庭?)でのんびり過ごします。
時間がゆっくり流れている感じ。
遊牧民の子供達が牛を移動させています。
ペットボトルでぶっ叩きながら、牛を移動させます。
とても草原が綺麗な場所で、最高でした。
この小さな黄色い花もとても綺麗です。
群生地では、黄色く彩られています。
緑と黄色と青と白…
自然の色合いというのは何というか完璧です。
日本人抑留
第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソ連によっておもにシベリアなどに労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称。厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。
これは実はモンゴルも関係しています。
司馬遼太郎氏がモンゴル首都ウランバートルで、国立中央オペラ劇場を見たときのことをこのように書いています。
「途中、国立中央オペラ劇場の前を通った。
この劇場は日本人捕虜の労役によって建てられたものだという知識は私にあった…
私は、敗戦のときにソ連が多数の日本人を捕虜にし、シベリアからウクライナ、あるいはモンゴルにいたるまで、広大な地域で奴隷労働をさせたことについて、言いがたい感情をもっている。そのソ連の国家行為をむしろ正当化する言い方はある。反省すべきは日本帝国主義の罪悪のほうではないか、とたとえ言われたところで、私は大人だから、子供のように言いくるめられるわけにはゆかない。連れてゆかれた人が私と同世代のひとびとだっただけに、国家次元の問題よりも、人情としてやりきれない思いを持たざるをえず、国家論抜きのいわば婦女子の情としてしてである。
当時のソ連は、旧満州でひっからげた日本人捕虜をモンゴルにも配給した。モンゴルだけでその数は一万三千八百四十七人だったという。二カ年の抑留中、そのうちの一割強(千六百八十四人)が死んだ。」
引用、抜粋:司馬遼太郎「街道を行く5 モンゴル紀行」朝日文庫
首都のウランバートルにも日本人墓地がありますが、スフバートルにもあったので行ってきました。
今は、日本人が遺骨等を日本に持ち帰ったので、日本人墓地跡となっています。
抑留者たちの敵は「飢えと寒さ」だったそうです。
冬の極寒、食べ物の乏しさは身をもって知っているので、さぞかし大変だっただろうと心を痛めます。
最後に
セレンゲ県スフバートル
とても、素敵な場所でした。今回2日間丸々ドラーバーをしてくれたのはミガーさんというモンゴル人です。スフバートルの隊員から紹介してもらいました。
日本人墓地の場所がはっきり分からなくて、あれこれ探していたら遊牧民の若者が「オレは知ってるぜ!5,000MTで教えてやるよ」と言ってきた。
(絶対怪しい…)
でも、ミガーはお金を払ってしまった。
案の定、若者は知らなかった。。
(あぁ、騙されたなぁ)と思っていたらミガーが
「いいんだよ。あいつは多分仕事がない若者だ」
自分との価値観の違いに衝撃を受けた。
金を払ったのだから、それに見合う対価を求めるのが普通だと思っていた。
けど、金を持っている人から持っていない人に流れていくことが、ごく自然な様な気もした。
雨が降って来ました。また草原の命が生き生きとする季節になって来ました。